ごあいさつ(Zero O'Clockとこのブログについて)
2024年4月、Zero O'Clockはオープンする。Zero O'Clockがどんな場所かと問われたら、本屋だと答えている。実際にそこにあるのは本、そして一杯のお茶(コーヒー)だ。
しかし、Zero O'Clockという名前が示している通り、それは本屋としての場所であると同時に、さまざまな時間と結びついている。
まず、Zero O'Clockという名前は、真夜中0時をあらわしている。0時(24時)という時間は、1日の終わりであり、始まりでもある。私たちは、ある1日が終わったからといって、何か別の新しい存在に生まれ変わるわけではない。後悔は絶えることがないし、過去は古いツタのように絡まりあっていて、それは簡単に解くことができるものではない。
にもかかわらず、私たちは常に新しい世界を生きてもいる。地中を這う古い根っこから、すべての瞬間に新たな何かが芽生え、木々が絶えず枝を伸ばすように。Zero O'Clockという名前は、古くからそこにある世界、そして常にそこにある新しい世界、そのどちらにも向けたまなざしを表している。また、私自身に異なる文化へ目を向け、他者と対話することの具体的な方法と喜び、そして苦しみを教えてくれたBTS(防弾少年団)とその曲「00:00(Zero 0'Clock)」に由来してもいる。BTSが「この歌が終われば新しい歌が始まるでしょう」と歌ったように、ここが誰かにとって新しい歌を歌える場所であることを願いながら一日一日を過ごしていけたらと思う。
流行の情報や知識の一部はここには欠けているかもしれない(それらをキャッチしようと常に意気込んではいる)。ひとむかし前に出版された本も多く並んでおり、その時系列はばらばらで、どの本も一冊ずつしか並んでいない。これらの本は、他者の痛み、未知の世界、歴史、文化、そして私たち自身に関するものだ。これらの本と出会うことは、私たち自身が何を願い、何を恐れ、何を想像するのか、その先にあるものと出会うことでもある。
つまり、Zero O'Clockは、錆びたものを磨き、腐ったものを取り替え、行き詰まった現実とは別の現実、別の世界を作り続けていく拠点、小さなプロジェクトのようなものだ。
そして、このブログは、私が見たこと、聞いたこと、考えついたことを、自由に記したものである。実際、私は長い間、自分が見たことや考えたことを、他の誰かと分かち合いたいと願い続けてきた。誰かの話を聴き、話をすること。これを繰り返すことによって、悲劇や絶望の反復ではなく、絶えず繰り返されることによって構成されてきた世界ーー常に変化し続ける世界ーーに応答してゆきたい。このブログは、そんなプロセスの一部である。
2024年4月 店主