結末のない物語/ソフォクレスの『アンティゴネー』と近現代の『アンティゴネー』(2024/7/12)

 ヴァージニア・ウルフがその著作(※1)の中で何度もソフォクレスの『アンティゴネー』に言及していたことをきっかけに、古代ギリシア悲劇であるこの物語に興味を持つようになった。

 ギリシア神話に登場する都市国家・テーバイの王女であるアンティゴネーは、テーバイの王・クレオーン(アンティゴネーの父・クレオーンの義弟)の命、つまり国家の法にそむいて、兄・ポリュネイケースの亡骸を埋葬する。国家の法にそむいたアンティゴネーは、国家の法とは別の「法」をつらぬくことを望む。

 ソフォクレスの『アンティゴネー』は紀元前442年頃に書かれたとされているが、『アンティゴネー』の物語は、たんに神話や古代悲劇としての物語にとどまるだけでなく、現在に至るまで翻案小説や翻案劇が書かれ、上演され続けている。たとえば、もっとも広く知られているものの一つとして、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの『アンティゴネ』(谷川道子訳、光文社、2015年)が挙げられるだろう。ブレヒトは、ナチスが台頭するドイツからの十数年にわたる亡命生活の中でこの劇を書いた。

 ブレヒトの『アンティゴネ』に付された「序景」は、1945年4月のベルリンが舞台になっている。ここでは、第二次世界大戦のさなか、防空壕から家に戻ってきた姉妹のところにナチスの親衛隊員が入ってくる場面が描かれている。また、1951年の上演に際して書かれた「新しいプロローグ」には、「最近、似たような行為が私たちにあったのではないか」(p20)ということばがある。本編自体はソフォクレスの『アンティゴネー』の時代背景に則しているが、この「序景」と「プロローグ」は、ブレヒトの『アンティゴネ』がソフォクレスの『アンティゴネー』とはまったく別のものであることを示しているように思う。クレオンは国家の法にそむくアンティゴネに「大地を、この故郷を侮辱するのか」と問うが、それに対してアンティゴネは「違います。大地は憂いのもと。故郷とは、大地だけではない。家だけでもない」(p55)と答える。ブレヒトの『アンティゴネ』が書かれた1940年代から1950年代、中東ではイスラエルが建設され、東アジアでは朝鮮半島が北と南に分断された。

 2017年のブッカー賞最終候補作の一つであるカミーラ・シャムジーの『帰りたい』(金原瑞人・安納令奈訳、白水社、2022年)もまた、『アンティゴネー』の翻案小説として書かれた。ロンドンでムスリムとして生きる3人の姉弟は、「二重国籍者」であらざるを得ない状況の中で、やがて窮地に追い込まれていく。姉弟の「帰りたい」という願いは、国家の法によって踏みにじられる。

 他にも、北米先住民ネズパース族の作家ベス・パイアトートによる戯曲『アンティコニーー北米先住民のソフォクレス』(初見かおり訳、春風社、2024年)が挙げられる。舞台は現代アメリカで、アンティコニ(アンティゴネー)は、死者を弔うために、国立アメリカ・インディアン博物館に保管されている兄たちの亡骸を運び出す。アンティコニはこう語る。「本来自分たちに属するものに触れる者、苦しみから解放されずにいる人びとに安息をもたらそうとする者は、刑務所送りになります」(p23)。また、盲目のシャーマン・テイレシアースは「死者たちを幽閉すれば、生者たちも囚われ人となる」(p107)と言う。パイアトートのこの戯曲は、インディアン博物館の館長、つまり支配者であるクレオーンさえも、白人の為政者たちによって抑圧されているという構造を持っている。

 『アンティゴネー』とその翻案は、時代や状況によって、物語の背景や登場人物の立ち位置、台詞のニュアンスなどが異なるが、そこに通底しているのは、これらの物語がたんに悲劇にとどまるものではないということだ。アンティゴネーは国家の法にそむいたために悲劇的な最後を迎えるが、『アンティゴネー』の物語自体は、約2500年の間、その形を変えながらも終わることなく続いているのである。

 ウルフによると、「法」とは私たちがそれぞれの時代において「理性と想像力を駆使して新たに見出さねばならない」ものである(『三ギニー』p317)。「死者たちを幽閉すれば、生者たちも囚われ人となる」。そして、死者たちを弔うための「法」は、この世界を支配する近代の法を越えたところに存在するのではないだろうか。

※1 ヴァージニア・ウルフ『三ギニー 戦争を阻止するために』片山亜紀訳、平凡社、2017年

参照文献

ソポクレース『アンティゴネー』中務哲郎訳、岩波書店、2014年

ブレヒト『アンティゴネ』谷川道子訳、光文社、2015年

カミーラ・シャムジー『帰りたい』金原瑞人・安納令奈訳、白水社、2022年

ベス・パイアトート『アンティコニーー北米先住民のソフォクレス』初見かおり訳、春風社、2024年

ヴァージニア・ウルフ『三ギニー 戦争を阻止するために』片山亜紀訳、平凡社、2017年