未来を散歩する/『未来散歩練習』書評(2024/7/24)

「でも、私たちが本当に向き合うことができるなら、お互いの手を見つめていた顔を上げて向き合うなら、そのとき私たちには言えることが何もないだろうか。そうではないだろう」

(パク・ソルメ『未来散歩練習』斎藤真理子訳、白水社、2023年、p101)

 この本の語り手である「私」は、ソウルから釜山に通いながら物語を書く生活を送っている。「私」は釜山で出会ったチェ・ミョンファンという女性と交流しながら、さまざまな場所を歩き、さまざまなものを食べたり飲んだりする。ある日、釜山のマンションの内見に行った「私」は、その部屋の窓から釜山アメリカ文化院の建物(※1)が見えることに気が付く。「私」は1982年に起きた釜山アメリカ文化院放火事件(※2)の実行犯である「彼ら」のことを想像する。「私」は「彼ら」が「1980年5月に講習で起きたことに対する米国の責任を問い、アメリカ文化院に放火した」(p81)ことを思い、「彼ら」の中の一人が後に翻訳したボブ・ディランのインタビューを読んでこう考える。

「私はこの本の翻訳者と、彼と共にアメリカ文化院に放火した人たちは、光州という事件の意味を絶え間なく自分に問いかけ、以後、時間というものの意味を自らに問い、そして自ら答えたのだろうと考えはじめた。同時に、80年5月に彼ら自身が光州にいたならばという仮定を何度も何度も反復したのだろうと思った。それから不意に、そうではないだろうと思った。彼らが反復したのは、そのとき彼らがそこにいたならばということではなく、そのときそこに誰かがいたという取り返しのつかない過去の事実だっただろう。[……]それでもなぜだか、彼らが自ら新しい世界を信じて生き延び、何度も何度もくり返し、未来を現在に引き寄せようとしたのだろうという推測は続いた」

(パク・ソルメ『未来散歩練習』斎藤真理子訳、白水社、2023年、p82)

 この「私」の物語と平行して語られるのが、スミとユンミ姉さん、そしてジョンスンの物語だ。釜山アメリカ文化院放火事件の実行犯の一人であるユンミ姉さんはスミの叔母であり、スミが中学生のときに刑務所を出てスミの家にやって来る。ジョンスンはそのときからのスミの親友であり、大人になってからも互いの近況を話し合う存在だ。「私」の物語が現在を軸として語られるのに対し、スミの物語は、1980年代から現在に至るまでのながい時間を軸に語られる。これら二つの物語は、散歩中に移り変わる景色のように交互に語られながら、読者に、過去でも未来でもない、しかし過去や未来と切り離され、単純化された瞬間としてではない現在を見せてくれる。

 物語の中で、「私」はひたすら釜山の街を散歩する。「私」は歩きながら釜山アメリカ文化院の建物を見たり、1982年に事件を目撃したチェ・ミョンファンと話をしたりする。そのようにして散歩する中で、「私」は人々がそのとき見ていたものを想像し、そのときそこにいた人々が想像した未来と出会う。「私」が散歩しながら見るものは、1982年の釜山に、1980年の光州につながっている。

 散歩は、過去や未来のあらゆるものごとが近づいたり遠ざかったり、離れたり結びついたりしながら目のまえにあらわれる、常にあたらしい景色を見せてくれる。その瞬間の景色は確実なものではけっしてないが、そのとき私たちが見るものは、「彼ら」が練習した未来、「私」が「切実に蘇らせたい、作り出したい」(p14)と願った未来、私たちがこれから生きる未来かもしれない。そして、この本を読むことそのものが散歩すること、つまり過去と未来のあいだの「練習」の時間である現在を生きることでもあるのだろう。

(※1)現在は釜山近現代歴史館になっている

(※2)1982年3月、神学生らが政権打倒と反米闘争を訴えて釜山アメリカ文化院に放火した事件。事件の背景には、1980年に光州で起きた民主化運動における米軍の責任を問う思想がある。(「訳者あとがき」参照)

(パク・ソルメ『未来散歩練習』斎藤真理子訳、白水社、2023年)