小説の中の他者/ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』を読む(2024/8/1)

 ウィラ・キャザーは1873年、アメリカのヴァージニア州に生まれた。F・S・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、ウィリアム・フォークナーらとほとんど同時代に活躍した。『グレート・ギャツビー』がキャザーの物語構造を参照していることは知られているが、作家たちはさまざまな面で互いに影響を与え合っていた(にもかかわらず、フィッツジェラルドやヘミングウェイなどに比べると、日本においてキャザーの名前が広く知られているとは言えないだろう)。キャザー自身は、1883年、10歳のときにネブラスカ州に移住している。キャザーが生きた19世紀後半から20世紀初頭にかけて、つまり南北戦争と第一次世界大戦の間の時期、アメリカは近代資本主義国家に向かって急速に変化していた。

 キャザーの小説『マイ・アントニーア』は、キャザー自身も認めているとおり、キャザーを代表する小説である。ネブラスカ州の田舎町で子ども時代をともに過ごした「わたし」とジム・バーデンは、「アイオワ州を横断する列車に偶然乗り合わせ」る(p1)。二人の話題は巡り、おなじくネブラスカ州でともに子ども時代を過ごしたアントニーアという「一人の中心人物」に戻ってくる。ジムは「わたし」に「アントニーアについて覚えていることを、ときどき書き留めている」と語り(p3)、この後に続く小説の本編がジムによって書かれたその原稿であることが示される。

 この小説の一つの特徴は、登場人物がさまざまなルーツを持っていることである。幼い頃に両親を亡くし、ネブラスカ州にある祖父の農場にやって来たジムは、そこでボヘミアからの移民であるシメルダ一家とその娘であるアントニーアに出会う。ネブラスカのその町にはさまざまな場所から移住してきた人々が暮らしている。たとえば、祖父の家で働くオットーとジェイクが移民であることについては何度か言及されているし、他にも、「ノルウェー人の居住地」に住む人々の話が出てきたり、ロシアからやって来たパヴェルとピーターとの交流が描かれていたりする。幼いジムにとって「ロシアはどの国よりも遠い国」のように思われたという(p27)。また、アントニーアはジムに、自分の父親が「故郷のことを思って悲しがっている」こと、「お父ちゃんはこの国が嫌い」であることを打ち明ける(p72)。

 ジムにとってシメルダ一家は見知らぬ土地からやって来た他者である。ジムは、祖母に向かってものをねだる「シメルダ夫人」を疎ましく思ったり、シメルダ家の長男であるアンブローシュをひいきする女性たちを批判したりする一方、アントニーアの父親であるシメルダ氏を尊敬し、アントニーアと交流を深めていく。シメルダ氏はいつも体調が悪く、元気がなかったが、アントニーアやジムにとってのシメルダ氏は、ボヘミアでホルンやヴァイオリンを弾き、たくさんの本を読んでいた人物であり、アメリカに移住してかつての生気を失ってなお尊厳を失わない人物である。やがて、ジムはネブラスカを出て大学に進学し、アントニーアとは別々の道を行くことになる。

 この小説のもう一つの大きな特徴は、ジムの他にもう一人の語り手である「わたし」が存在することである。「序」における語り手は「わたし」であり、「わたし」にとってはジムも他者である。この物語の構造は、ジムが絶対的な語り手、唯一の総合的な視点ではないことを示している。それは、この小説が書かれた19世紀後半から20世紀前半にかけて急速にかけて「大国」への道を突き進むアメリカを導いてきた「白人」が歴史における絶対的な語り手ではあり得ないことを示してもいるだろう。

 大学を出て、弁護士として社会的成功をおさめたジムは、20年の月日を経て再びアントニーアに会いにネブラスカに行き、その帰りに、子どもの頃に通った道の一部に出会う。

ぼくが、この荒れた牧草地をさまよっていると、ブラック・ホークから北の地域に向かう最初の道の一部分に出会った。それは、祖父の農場に向かう道であり、それから、シメルダ家の農場に、そして、ノルウェー人の居住地へ続くものだった。街道の測量が行われると、殆どの土地は開墾されてしまった。牧草地の垣根の内側にある半マイルかそこらの道は、かつて、誰の所有でもない大草原を、高いところでは大地にしがみつき、猟犬に追われた兎のように円を描いたり折り返したりして、野生の生き物のように走り回っていた古い道の生き残りだった。

ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』佐藤宏子訳、みすず書房、2011年、p298

 道はほとんど消えてしまっていたが、その生き残りは、ジムの中にかつてそこにあった道を再び呼び起こす。

この同じ道が再びぼくたちを結びつけるのだということが分かった。ぼくたちが失ったものがなんであれ、ぼくたちは、伝えることが不可能な貴重な過去を共有しているのだ。

ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』佐藤宏子訳、みすず書房、2011年、p299

 ジムはネブラスカで過ごした子ども時代に後戻りすることはできないが、20年後にジムが見つけた道は、円環のように過去につながっている。その道をたどっていくと、そこにはさまざまな人々が行き交い、かならずしも快適に過ごすのに向いているとはいえない厳しい土地ーーそれぞれが偶然たどり着いた、夏は酷暑、冬には厳しい寒さがやって来るその場所ーーで、互いに排除し合うことなく暮らしている。

 アントニーアやジムが生きた時代を遠く離れて、私たちは近代という道を突き進んできた。その代償はもはや数え切れない。ジムとアントニーアが共有したような過去の記憶を、故郷喪失者である私たちは持っていない。それでももし、その古い道、つまり資本主義的近代とは別の、かつてそこにあったはずの道の「生き残り」がどこかにまだあるとするならば、私はその道を探すために時間を遡り、その道の上にもう一度立って、道がどこにつながっているのか、その先にどんな風景があるのかに目をこらすだろう。

(ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』佐藤宏子訳、みすず書房、2011年)