「外部から自分たちをもう一度見る想像力」/徐京植、そして石牟礼道子の地図(2024/8/31)

 大学の研究室の本棚にあった徐京植の『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』を手に取ったのは、水俣関連の本が並ぶ棚の中に、この本が一冊まぎれているように見えたからだった。そうやって私は大学の研究室でこの本を読み、徐京植、そしてプリーモ・レーヴィに出会った。それから約1年後に徐京植の訃報が届いた。訃報のすぐ後、2024年1月にNHKで放送された「こころの時代選 徐京植追悼アーカイブ 離散者として生きる」を私は録画していたが、実際にその映像を見たのは今年も半ばを過ぎた頃だった。

 その映像の中で、2008年の徐はプリーモ・レーヴィの足跡をたどってイタリアのトリノを訪れていた。かつてレーヴィが暮らし、その生が絶たれた場所に立つ徐の姿を見て、私は以前読んだ『プリーモ・レーヴィへの旅』を想起し、それを読みはじめたときに、なぜ徐はそれほどまでに、つまり雪に覆われたトリノを訪れ、その墓を探さなければならないほどにレーヴィの足跡をたどろうとするのだろうかと考えたことを思い出した。その考えは、アウシュヴィッツと朝鮮、そして私自身が生きている日本をすぐに結びつけることができないほど乏しい私の想像力に起因していた。

 『プリーモ・レーヴィへの旅』の冒頭、徐は、レーヴィの墓へ向かっている自らと向き合いながら、10代の頃に訪れた韓国で父の故郷を訪れ、そこで祖父の墓に赴いた日を連想する。その記憶はまた、朝鮮解放の半年前に日本で獄死した詩人・尹東柱の墓を間島に訪れた際の記憶へと繋がっている。徐は「私がいつも引き寄せられるのは、帝国主義、植民地支配、世界戦争……20世紀の無慈悲な歴史に追い立てられ、故郷や家族から引き剥がされ、根こぎにされた死者たちの墓である」と書いた(『プリーモ・レーヴィへの旅』p12)。私は、敗戦から半世紀以上が経った日本に生まれながら、それまで自分がいかに歴史的な視点を欠いていたか、つまりアジアを蹂躙し、その責任を果たすことなく自ら意味するところの近代(※1)を突っ走ってきた日本をその外側から見ることなしに生きてきたかを知った。

 徐は先述した「こころの時代」の映像の中で、「外部から自分たちをもう一度見る想像力」について語っている。徐によると、そのような想像力を私たちが養うための手がかりとなる破片はすでにレーヴィ、あるいは無数の無名の人々によって残されている。さらに、「外部から自分たちをもう一度見る想像力」とは、言い換えると「他者への想像力」であるという。徐は「もし私たちに自分たちがいま生きている空間しか存在しないとすると、例えばアウシュヴィッツのその外側が存在しないとすると、そこから生き延びるという発想が出てこないわけですね。「外」があると考える、「外」にいる誰かが存在すると考えること」と語り、私たちの外側に常にそのような場所が存在することを示し、また、沖縄、フクシマ、パレスチナへ視線を向け、離散者(ディアスポラ)として生きること、今ある世界の外側を想像することを問い続けた。

 この「こころの時代」を見て、あるいは『フクシマを歩いて』を読んで、私はなぜか石牟礼道子のことを想起した。石牟礼は水俣病について書いたが、徐の言葉を借りるならば、そこには水俣病を引き起こした近代そのものをその外部から見つめる想像力が存在していたといえるかもしれない。石牟礼が書いたのは、たんに水俣病の悲惨さやその教訓ではなく、かといって純粋に近代への批判でもなく、水俣病以前から続く世界を表現する、しかし確かに水俣病をめぐる経験の中で生まれた言葉であった。つまり、石牟礼は近代の中で避け難く水俣病に直面しながらも、何か水俣病の悲劇のみに回収できないような世界を描き、その、いわば近代の外側にある世界から、近代を生きる私たち自身を見ていたのではないだろうか。そして、そこには常に「他者への想像力」があった。ここまで考えてようやく私は、あの本棚の中に『プリーモ・レーヴィへの旅』があった理由に、断片的であれ触れられたような気がする。

 アウシュヴィッツ、朝鮮、沖縄、フクシマ、パレスチナ、水俣。それぞれに歴史的文脈は異なっていて、それらを安易に結びつけたり、同一視することなどできない。しかし、それぞれを結びつける、あるいは絡まった状況を解きなおすための繋がりの地図が徐京植によって、石牟礼道子によって、また「無数の無名の人々」によって示されたならば、これまで私たちが歩いて来た近代とは別の道ーー徐や石牟礼が描いた地図を読み、さらに私たち自身が新たな地図を描くことで見えてくる道ーーが必ずどこかにあるはずだ。その道を今、私は切実に必要としている。

※1 徐は「実態は侵略する側とされる側に引き裂かれており、日本とその他の民族では近代の意味が異なるのである。「アジア・リアリズム」と一括して呼んでいるが、日本とその他の諸民族では当然、「アジア」の意味も「リアリズム」の意味も異なってくるはずだ」と述べている(『フクシマを歩いて』p189)。

参考文献

徐京植『新版 プリーモ・レーヴィへの旅ーアウシュヴィッツは終わるのか?ー』晃洋書房、2014年

徐京植『フクシマを歩いてーディアスポラの眼から』毎日新聞出版、2012年