視線を遠くに投げる/チョン・セラン『シソンから』書評(2024/8/15)
『シソンから、』という物語の中心にいるシム・シソンは、朝鮮戦争によって家族全員を失い、ハワイへの移住を経てヨーロッパに渡り、芸術家としての人生をはじめた人物である。シソンはヨーロッパで画家としての仕事をしたあと韓国に戻って、さまざまなインタビューやテレビ出演に応じながら、美術評論やその他の文章を書いた。訳者あとがきにあるように、タイトルの「シソンから、」は、「「シム・シソンから広がってきた人々の物語」ということだ」(p351「訳者あとがき」)。また、「シソン」は「視線」と同音であり、著者のチョン・セランはインタビューで「視線を遠くに置くことが大事。問題を近くで考えすぎず、長く、広く見ていくことが、絶望を避ける方法、よい市民、よい大人になる方法だと思う」と話していたという(p352「訳者あとがき」)。
シソンが亡くなってから10年が経ち、彼女の子孫たち、つまりシソンの「かけら」をそれぞれに秘めた人々は、ハワイでシソンの祭祀(※1)を行うことになる。物語は、ハワイでの祭祀の記録と、シソンの祭祀に参加した人々の記憶やハワイに来るに至るまでの過程、さらにシソンが書いた文章やインタビューなどが交差しながら進行する。各章の冒頭には、シソンの文章などが引用されていて(その引用は登場人物の中の誰かによるものかもしれないが)、それらのことばはフィクションという深淵を越えて私たちにまで直接届く。
シソンの祭祀のためにハワイに集まった登場人物たちは、21世紀の現在を生きながら、さまざまな問題に直面している。たとえば、ファスは会社で起きたある事件のPTSDに苦しんでおり、キュリムは学校内でのヘイト発言問題の渦中にいる。それらの問題の解決が見えない行き詰まりの中でも、シソンへの道だけは、過去との対話の道だけは常に開かれている。なぜならそれは記憶の中だけにある、目には見えない道だからだ。それぞれの登場人物は、過去のシソンとの対話の中に、シソンのことばやふるまいの中に、自分たちがこれから生きていく道につながる何かを見出していく。そして、そんなふうに過去と向き合い、死者を思うための時間がハワイにはある。
物語の中で、20世紀にシソンが女性芸術家としてどのように生きてきたのか、さらに朝鮮戦争の記憶にシソンがどう向き合ったかということは、そのまま21世紀を生きる登場人物たちー私たちを含めた21世紀を生きる人々ーがどのように生きていくのかということにつながっている。シソンは、朝鮮戦争のさなかに虐殺された家族の遺骨がある故郷の「T」に先端産業団地が建設されるという話を聞いて、「何十人もの人が埋まったままでそこを整地してしまったら、この国に未来があるだろうか?」と書いている(p311)。そして、家族を虐殺された後に一人で移住したハワイで食べた韓国料理を作ってくれたおばさんたちのことを思い出した後、自分にはそんなふうに料理をつくることはできないけれど、「それでも私が私なりに若い人たちに対してなんらかの役割を果たせたのであれば嬉しい」と語った(p311-312)。
「落ちた果実のような私の失敗や彷徨を養分として次の世代がさまよわずにすむのなら、それは意味のあることだろう」(p312)。
シソンの視線は遠くまでのびていた。その視線の先にいる私たちは、その視線を受けとめ、引き継ぎ、さらに遠くまで視線をとばすことができるだろうか。
(『シソンから、』、チョン・セラン著、斎藤真理子訳)
※1 韓国の祭祀については「訳者あとがき」(p353-354)に詳しい説明がある。