答えのない問いを問いつづけること/『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』書評(2024/6/14)

 この本は、さまざまな「彼女たち」が、戦争の時代をどのように生きたのか、28章にわたる短いエッセイをまとめたものである。「彼女たち」のほとんどは、すでにこの世を去った死者である。その中には、ヴァージニア・ウルフやシルヴィア・プラスなど、多くの人々がその名前を記憶しているであろう存在から、「ラジウム・ガールズ」や「ヒロシマ・ガールズ」など、一人一人の名前が明かされることさえ困難な存在まで、生き方も、人生も、それぞれに異なる人々がいる。

 「彼女たち」一人一人が私たちを引きつけるのはもちろんだが、それとおなじくらい、私はその、両手でも数えきれないほどの「彼女たち」をこうして呼び出さざるを得なかった著者・小林エリカに引きつけられる。小林は、「彼女が生きていたとしたら」と問いながらも、「けれど私は、それをわからないし、それをわかりえない」と書く(「いまここに広がりゆくささやきよ!小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』自著解題」webちくま)。つまり、小林は、死者を代弁することが不可能であることを知りながら、それでも、死者たちがその目で見た世界を問いつづけている。それは、答えのない問いである。

 たとえば、小林は、ヴァージニア・ウルフがかつてポケットに小石を詰め込んで入水自殺したウーズ川を訪れる。その時に見たウーズ川は、川底の石が見えるほどに水位が低かったという。さらに小林は、ウルフの足跡をたどりながら、ウルフがかつて、家のすぐそばに落とされた不発弾を見ながら「あと10年欲しかった」と書いたこと、そう書いてから半年も経たないうちにウーズ川へ向かったことについて考える。ウルフがコートのポケットに小石を詰め込んで家を出た日のことを繰り返し記憶する。

 この本にとりあげられている「彼女たち」は、女性であることや、生まれた国や生い立ちを理由に抑圧され、無視され、時に忘れ去られてきた。しかし、小林は、「彼女たち」を単にそのような歴史的抑圧の対象として捉えるというよりも、そのような事実を踏まえつつ、抑圧と忘却の嵐の中で、ささやくことをやめなかった存在として捉えているように思う。小林は、嵐の中にも彼女たちのささやきが存在していたことを確信する。その確信は、ながい時間をかけて、しかし確実にやって来たものだろう。

 この本の中で、私がもう一つ心引かれるのは、それぞれの「彼女」について書かれた文章の中に、ごく自然に、導かれるようにしてまた別の「彼女」があらわれている点だ。それぞれのページは奇妙な連続性をもっている。たとえば、霊媒師であるエウサピア・パラディーノの交霊会に参加していたのは科学者マリ・キュリーだったし、メイ・サートンの一家が第一次世界大戦中に亡命したのは、エミリー・ディキンソンが暮らしていたのと同じ土地であるマサチューセッツ州ボストンだった。それらは、無理に提示しようとしたつながりではなく、書いていくうちに、著者自身とっても思いがけないかたちであらわれてきたものであるように見える。そして、そのことは、それぞれに異なる生き方をした「彼女たち」のささやきが、他の無数の「彼女たち」のささやきと呼応していることを想起させる。 


「そもそも人生に、間違いなんてものはあるのだろうか。たとえそれが「悪」だと罵られようとも」

小林エリカ 2024『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』筑摩書房、p78

 小林のこのことばには、「天才」であるアルベルト・アインシュタインの子を産み、学問を諦め、相手からの一方的な離婚を突きつけられてその示談金を受け取ったミレヴァ・マリッチを「悪」だとした男性たちとは全く別の価値観のようなものがある。あるいは、こうも言えるかもしれない。私たちが使い古し、すでに機能不全に陥った価値観それ自体をいちから点検し、場合によっては手放したり、新しいものに取り替えたりさせるための力をこのことばは持っている。

 答えのない問いを問いつづけること。そのこと自体に、今、私たちがこの時代を生きていくために必要な何かがあるのだと、この本は語っているようにも思える。美しい装丁と、それぞれのエッセイの扉にあらわれる、著者自身によって描かれた「彼女たち」も魅力的である。

(小林エリカ 2024『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』筑摩書房)