思いもよらないことば/『オーバーストーリー』書評(2024/6/28)

 著者であるリチャード・パワーズ(Richard Powers)は、『オーバーストーリー』の着想を、カリフォルニア州北部をハイキングしているときに見たレッドウッドから得たとインタビューで語っている。そのレッドウッドは樹齢2000年ほどの木で、その前に立っていると、自分でも思いもよらないことばが出てきたのだという。私自身も、パワーズのインタビューを読んで、屋久島の縄文杉を見たときのことを思い出した。驚異的な存在をまえにした自分は、それまでの自分ではありえないのだった。

 樹木はまた、とても身近な存在でもある。最近、海の中道海浜公園の西駐車場を覆っていた木々が突然すべて切り倒され、西戸崎へと続く三叉路の景観は全く変わってしまった。木々のない曲がり角の景色に違和感を抱いているのは、私だけではないはずだ。地球上の木々がものすごいスピードで伐採され、切り開かれた土地に新たな何かが建てられるにつれて、海面が上昇し続けていることに気づいていない人もいないだろう。

 リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』は、樹木と、樹木をめぐる9人の人間の物語だ。「オーバーストーリー」は、英語で、樹木の一番高いところ、つまり枝や葉が茂っている部分である「樹冠」を意味する。しかし、この小説のタイトルである「オーバーストーリー」とは、「物語を超える物語」を意味してもいる。つまり、小説が語るのは人間の物語であるが、それと並行して、そしてそれを超えたところに、人間には想像することさえできない樹木の物語がある。人間の物語は、樹木の物語を代弁することができない。

 とはいえ、二つの物語は互いに絡まり合ってもいる。無数の樹木の根が地面の下で互いに絡まり合っているように。たとえば、登場人物の一人であるニコラス・ホーエルの生家には、20世紀前半に流行した胴枯病から一本だけ生き残った栗の木がある。同じように、絶滅したはずの栗の木は、なぜか、レイ・ブリンクマンとドロシー・ガザリー夫妻の裏庭にもある。ダグラス・パヴリチェクは、従軍中、樹木に命を救われる経験をしている。ニーレイ・メータが車椅子に乗っているのは、幼い頃に木から落ちたことが原因だ。オリヴィア・ヴァンダーグリフは、感電死からよみがえった後、樹木の声を聴くことができるようになる。

 この本は、「根」「幹」「樹冠」「種子」の4つの章で構成されている。「根」において、9人の登場人物は、互いのことを知らないまま、別々の場所で、別々の人生を送っているように見える。しかし、「幹」においては、それぞれの人生が交わり合っていることがしだいに明らかになってゆく。たとえば、家族が死に絶えた家で、一人栗の巨木を守っていたニコラス・ホーエルのもとを偶然訪れるのがオリヴィア・ヴァンダーグリフであることを、「根」の時点で私たちは予測することができない。「樹冠」では9人の絡まり合う関係性によって形づくられた樹上占拠(※樹木が伐採されることを阻止するために、樹上に座り込みをすること)という行為が、「種子」では樹上占拠という「犯罪」によって起こされた裁判の結果を含むその後の経緯が描かれている。

 自分の生と樹木とが、互いに別々の時間を生きながらも、「根」の部分でつながっていることを深く理解する人々が、原生林を守るために起こした闘争は、「犯罪」なのだろうか。その「犯罪」をめぐる裁判について、レイ・ブリンクマンは、「犯罪者」側の視点から「何としても勝たなければならないと悟る」(p662)。「このままだと生物は煮え、海面は上昇する。地球の肺は切り取られる。なのに、今まで危機に緊急性がなかったという理由で法がそれを許す。人間のスピードにおける緊急では手遅れだ。法律は樹木のスピードにおける緊急性を判断しなければならない」(※1)(p662)。

 私たちが生きているこの世界とは何か。世界はすでに限界を迎えつつあるのではないか。しかし、それは何にとっての、どんな限界なのだろうか?この小説は、それらの問いについての一つの見方を提示してくれる。そして、その見方とは、私たちの理解の範囲に基づくものではなく、私たちの理解の外側に存在する物語に基づいているのである。

※1 「緊急」「緊急性」の原文にはそれぞれ傍点が振られている

(リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』木原善彦訳、新潮社、2019年)